早石 修 (はやいしおさむ)

[昭和33(1958)年3月22日〜昭和58(1983)年4月1日]

 大正 9(1920)年1月8日年米国カリフォルニア州ストックトンに,留学中の医師早石實蔵の三男として生まれた。大阪府立北野中学校を経て,昭和14年に大阪高等学校を卒業した。昭和17(1942)年9月に大阪帝国大学医学部を卒業して,同医学部副手となった。翌年海軍軍医中尉に任官,千島に派遣された後,道内勤務となって終戦を迎えた。昭和21(1946)年3月大阪帝国大学医学部に助手として復帰,細菌によるトリプトファン代謝の研究で同24年7月医学博士号を受けた。同年11月米国ウィスコンシン大学酵素研究所の D.E. Green 教授のもとに留学,翌年カリフォルニア州立大学バークレイ分校に移り,さらにその翌年 A. Kornberg 博士の迎きで米国国立健康研究所 (NIH) に移った。昭和27年同博士とともにワシントン大学医学部微生物学教室に移り,助教授として2年間勤務の後,昭和29(1954)年12月から米国国立健康研究所の毒物学部長に任用され,研究室を主宰するに至った。ここでライフワークの酸素添加酵素が発見された。昭和33(1958)年3月京都大学医学部医化学講座に第4代教授として迎えられ帰国,以後昭和58(1983)年4月定年退官するまでその職を占めた(退官後,京都大学名誉教授となる)。この間,昭和34年から17年間京都大学化学研究所分子生物学部門,昭和36年から2年間大阪大学医学部生化学第一講座,昭和45年から4年間東京大学医学部栄養学講座の各教授を併任し,昭和54年から2年間京都大学医学部長を勤めた。また,日本生化学会会長や会頭,国際生化学連合総裁や国際生化学会議組織委員長を務めた.退官後は,昭和58年から大阪医科大学学長,昭和62年から大阪バイオサイエンス研究所所長を勤め,現在,同研究所の名誉所長である。これら研究・教育上の功績に対して,日本学士院賞(昭和42年),文化勲章・文化功労者(昭和47年),日本学士院会員(昭和49年より),勲一等瑞宝章(平成5年)など,多数の栄誉が贈られている。