本庶教授時代

[昭和59(1984)年3月1日〜現在に至る]

 早石教授が昭和58(1983)年3月に定年退官し(大阪医科大学長に就任),その後任として,当時大阪大学医学部遺伝学教室教授であった本庶 佑が,医化学講座第6代教授に就任し,現在に至っている。就任当時は早石教授時代からの高井克治助教授,上田國寛講師らがいたが,それぞれ東京大学医学部教授,京都大学医学部(臨床検査医学講座)助教授(その後京都大化研教授)として転出して行った。
 本庶教授は就任に伴う移転によって研究が中断されることを避けるため,着任後しばらく(約1年間)前任地を兼務し,この間に2期に分けて大阪大学からの研究室移転が行われた。その第1陣として助手の清水 章(京都大遺伝子実験施設教授)が,第2陣として矢尾板芳郎助手(東京都神経科学総合研主任研究員)がそれぞれ昭和59(1984)年,昭和60(1985)年に大阪大学医学部遺伝学教室から着任し,本庶教授の研究を補佐した。この時多くの大学院学生も本庶教授を慕って京都大学へ転学した。
 その後,昭和62(1987)年に米国 NIH の岡山博人博士(東京大院医教授)の研究室から川市正史が講師として着任し,翌昭和63(1988)年からは助教授として,平成 5(1993)年に奈良先端科学技術大学院大学教授として転出するまで教育,研究両面で教室を支えた。川市助教授の後任にはドイツの M. Reth 教授の下から帰国し,当時医化学教室の助手になっていた鍔田武志が就き,ことに免疫生物学的な研究面を中心に教室の活動を発展させた。鍔田助教授が東京医科歯科大学教授として転出した平成 8(1996)年に,東京大学医学部(寄付講座)の助教授であった生田宏一が助教授に迎えられ,今日に至っている。この間,昭和63(1988)年には清水 章が,平成 3(1991)年から平成 8(1996)年まで仲野 徹(大阪大微生物病研教授)が,平成 7 (1995) 年から平成 9 (1997) 年まで近藤 滋 (徳島大総合科学教授) がそれぞれ講師を勤め,助教授と車輪の両輪のように互いに協力して研究,教室の運営,教育などにあたった。
 本庶教授は京都大学遺伝子実験施設の設立にも尽力し,昭和63(1988)年4月にその発足とともに初代の施設長を兼務することとなり,以後平成 9(1997)年に医学部長(医学研究科長)との兼務が困難となって施設長を辞すまで,施設における研究の指導,施設の発展に大きく貢献した。この全学施設の設立に伴い,医化学教室の講師であった清水 章が助教授として着任し,平成 4(1992)年に新設されたヒト・ゲノム解析分野の教授として独立するまで,医化学教室の研究室とほぼ一体となって本庶教授の研究を補佐した。現在でも遺伝子実験施設の田代 啓助教授を中心とする研究グループは,医化学教室本庶研究室と密接な連係の下に研究を続けている。
 本庶教授は昭和41(1966)年の京都大学医学部の卒業であり,先代教授である早石教授の門下生でもある。大学院生時代に早くもその頭角を現わし,当時の西塚泰美助教授(神戸大学長)の指導の下でなされた研究の成果ムジフテリア毒素が酵素であり,蛋白質合成の伸長因子を ADP-リボシル化することで失活させることの発見ムは毒素の概念を改めるものとして大いに注目された。またこの時,上田國寛や成宮 周(京都大院医教授)など多くの優秀な先輩,後輩に囲まれ,まさに黄金時代ともいうべき早石研究室で,早石教授以下多くの先輩の薫陶を受けた。大学院修了後,米国カーネギー遺伝学研究所の D. Brown 博士や,当時 NIH にいた P. Leder 博士(ハーバード大医教授)に師事し,分子生物学を習得するとともに,ライフワークの一つとなる抗体遺伝子の研究への着想を得た。帰国後,早石教授が一時併任していたことがある東京大学医学部栄養学教室の助手を勤め,この時世界に先駆けて抗体遺伝子のクラススイッチが遺伝子の組換え(欠失)によって起こることを実験的根拠をもとに示した。以後,クラススイッチの分子機構に関する研究は本庶教授のライフワークとして一貫して継続されており,医化学第一講座(医学研究科分子物学講座)の主要な研究テーマの一つとして現在に至っている。この研究によって,本庶教授は平成8(1996)年に日本学士院賞,恩賜賞を受賞している。
 本庶教授が医化学教室に着任してからの研究には,クラススイッチの分子機構に関するもののほかに,T 細胞増殖因子 (IL-2) 受容体 α 鎖遺伝子のクローニング,その構造と機能の解析,クラススイッチに関与するリンホカイン (IL-4,IL-5) の遺伝子クローニング,抗体遺伝子組換え信号結合蛋白質 /ノッチシグナル下流転写調節因子の遺伝子クローニングと機能解析,リンパ球のアポトーシスと活性化の選別機構,免疫異常マウスの突然変異原因遺伝子のポジショナルクローニングによる同定,自己抗体遺伝子の導入による自己免疫モデルマウスの作製など多岐にわたっているが,いずれも免疫系などを中心とした高次の生命機能を掌る分子機構の解明を目指したものであり,一貫した問題意識で貫かれた上で,その時代の最先端を行くものであるといえる。また,全ての研究の基盤となる遺伝子構造情報の解明に貢献する研究も継続して行われており,平成10(1998)年には,大阪大学時代に開始されたもう一つのライフワークともいうべき,ヒト抗体 H 鎖可変部遺伝子群の全構造(100万塩基対に及ぶ塩基配列)の決定をついに成し遂げた。これらの研究成果はいずれも英文論文にまとめられ,Nature,Cell などをはじめとする欧米の一流誌に多数掲載されている。多くの研究は現在も若い教室員の手によって継続され,今後も大きく発展することが期待されている。
 本庶教授はまた,着任後既に多くの門下生を輩出しており,このなかには福井 清(徳島大学教授),石田直理雄(工業技術院学生命工学研主任研究員)などがいる。
本庶教授は平成8(1996)年10月から医学部長,医学研究科長を勤めており,歴代の医化学教室教授がそうであったように,教室だけでなく医学部,医学研究科の先頭に立って,日夜奮闘している。
 本庶教授は,日本分子生物学会発足時からのメンバーとしてその運営に参加し,役員もたびたび勤めているが,平成9(1997)年には年会長として第20回日本分子生物学会年会を京都の地において主催した。また,日本生化学会や日本免疫学会においてもたびたび役員を勤めており,平成11(1999)年からは日本免疫学会会長にも就任している。さらに,平成11(1999)年12月に京都で行われる予定の第29回日本免疫学会学術集会を主催する予定になっている。このように今や本庶教授は我が国における生化学,分子生物学,免疫学の分野において無くてはならない存在として,奮闘・活躍している。(清 水 章 記)