沼教授時代

[昭和43(1968)年2月1日〜平成 4(1992)年2月15日]

 医化学第二講座は沼 正作教授が昭和43(1968)年に教授に着任することにより本格的にスタートした。最初は沼教授のドイツ Max-Planck 研究所での研究の延長として, 脂肪酸生合成 の律速酵素であるアセチル CoA カルボキシラーゼのアロステリックの性質と本酵素の合成と分 解の機構を明らかにする研究が進められた。また, 橋本 隆助教授 (後に信州大名誉教授) は本 酵素のキネティックスの解析を進め, 詳細な反応機構を明らかにした。しかし, 昭和44 (1969) 年に大学紛争がはげしくなり, 春から秋にかけて基礎構内がバリケード閉鎖され, それに伴って 研究停止されたため, 沼研究室の本格的な研究活動は昭和45 (1970) 年に入ってからであった。
 1970年代に入ると沼研究室では山下 哲助教授(群馬大医教授)を中心に新たにグルセロリピッドへの脂肪酸導入機構の研究が開始された。山下助教授らは細胞切片やミクロゾームのレベルで行われていたアシルトランスフェラーゼの研究分野に酵素学の手法を導入し,種々のアシルトランスフェラーゼの可溶化と部分精製に成功した。この結果,脂質の詳細な生合成機構を解析することが可能となり,脂質の脂肪酸組成が異なったアシルトランスフェラーゼの基質特異性で説明できることを明らかにした。
 一方,上領達之講師(広島大総合科学部教授)は脂肪酸の de nove 合成の調節機構について酵母を用いて解析を進めた。本研究によってアシルCoA合成酵素は2種類存在し,一方は脂質に直接とりこまれるアシル CoA を合成する酵素として働き,他方はペルオキシゾームにあって脂肪酸の分解にかかわる酵素として働くことを示し,脂肪酸が膜形成とエネルギー供給を行う上で巧妙に調節されていることを明らかにした。この時代は酵素学の全盛期であり,国際的な競争があったとはいっても,実験は手工業的要素が強く,春,秋の遠足には沼教授も参加し,また夏には教室の読書会を比叡山の山房で行うような時代でもあった。
 昭和49(1974)年中西重忠助教授(京都大院生命科学教授)を中心に,沼研究室では神経内分泌系の分子生物学の研究が開始された。ACTH ペプチドホルモンの合成機構を研究対象に,無細胞蛋白合成系から研究を開始し,牛の下垂体より ACTH mRNA を精製し,スタンフォード大学の Robert Schimke,Stanly Cohen との共同研究により ACTH 前駆体の cDNA をクローニングすることに成功した。この結果 ACTH,エンドルフィンを含む興味ある ACTH 前駆体の全構造を明らかにするに到った。さらに他の2種類のエンケファリンの cDNA のクローニングも相次いで達成された。これらの成果はエンケファリンを含む3種類の前駆体の全構造を初めて明らかにしたものであり,またペプチド前駆体は類似した多種類の活性ペプチドを含むものであること,さらにペプチドの前駆体の cDNA クローニングによって新しい活性ペプチドの存在が予想できることを示すものとして大きな反響を呼んだ。この時代は遺伝子工学の黎明期であり,無細胞蛋白合成系やオリゴ dT の合成から制限酵素の精製まで全て準備し,分子生物学を立ち上げるために大変ではあったが,それだけに自分たちの手で作り上げていくという面白い時代でもあった。
 1980年代に入ると沼研究室では,イオンチャネル・神経伝達物質受容体など細胞情報伝達に関わる分子の cDNA クローニングと機能解析が研究の主要テーマとなった。昭和57(1982)年には世界的な競合のなか,野田昌晴(岡崎国立共同研究機構基礎生物学研教授)らによりシビレエイのニコチン性アセチルコリン受容体 (nAChR) α サブユニットの cDNA クローニングが達成された。この成果は初めてのイオンチャネルの一次構造解明であり,Cold Spring Harbor シンポジウムで発表され,世界の神経科学者に大きな興奮と反響を呼び起こした。引き続いて nAChR の β, γ, δ サブユニットのクローニングが行われ,三品昌美助教授(東京大院医教授)らによりこれらのサブユニット cDNA からの機能的イオンチャネル発現が行われた。当時は試験管内で cDNA から mRNA を合成する技術がなく,cDNA を発現させた大量の COS 細胞から mRNA を精製し,その mRNA をアフリカツメガエル卵母細胞に注入してイオンチャネルを発現させるという手間を要する実験であった。しかしこの発現実験の直後に RNA ポリメラーゼの使用が可能となり,今まで何十枚ものプレートで COS 細胞を培養する手間が,1本のエッペンドルフチューブに取って代わられた。
 cDNA を用いた nAChR 発現の研究は井本敬二(岡崎国立共同研究機構生理研教授)によって変異を加えた nAChR の解析へと発展した。特にドイツの Bert Sakmann との共同研究により,変異 nAChR チャネルの機能をシングルチャネルレコーディングにより解析し,チャネルのポア領域を詳細に検討していく研究が進められた。また新たにクローニングが行われた ε サブユニットを組み合わせた実験から,nAChR のサブユニット組成が発達に伴って変わっていくことが明らかにされた。
 もう一つの古典的イオンチャネルであるナトリウムチャネルの cDNA クローニングは,電気ウナギの電気器官を材料として昭和59(1984)年野田らにより行われた。ナトリウムチャネル蛋白はアミノ酸残基がおよそ2,000という膜蛋白であり,一次構造から4つの相同ドメインがつながっており,それぞれのドメインは電位センサーと想像される特異なアミノ酸配列を持つことが明らかにされた。昭和60(1985)年より沼は分子遺伝学教室教授を兼任することとなり,野田は分子遺伝学の助教授となった。
 野田らはさらにラット脳からナトリウムチャネルの cDNA クローニングを行い,少なくとも3種類のナトリウムチャネルが存在することを示し,cDNA からナトリウムチャネルを発現させることに成功した。その後ナトリウムチャネルの活性化,不活性化,イオン選択性の分子機構に関する研究が,野田,井本を中心にドイツの Walter Stuhmer らとの共同研究により進められた。
 ナトリウムチャネルに続いて,昭和62(1987)年田辺 勉(東京医歯大教授)らは骨格筋を材料として電位依存性カルシウムチャネルの cDNA クローニングに成功した。さらに三上 敦(米国マサチュセッツ大医)は心筋カルシウムチャネル,森 泰生(岡崎国立共同研究機構生理研助教授)は脳カルシウムチャネルの cDNA クローニングを行った。cDNA を用いたカルシウムチャネル研究は,カルシウムチャネルを欠く dysgenic マウスの培養骨格筋細胞を発現系として用いた Kurt Beam(コロラド州立大)との共同研究により,興奮収縮連関,チャネル活性化などの分子機構の解析へと発展した。
 興奮収縮連関を担うもう一つの主要分子であるリアノジン受容体の cDNA クローニングは,平成元(1989)年竹島 浩(東京大院医助教授)らにより行われた。リアノジン受容体はアミノ酸残基が約5,000の巨大な分子であり,その一次構造は見開き2ページとして Nature 誌に掲載された。引き続いて心筋タイプのリアノジン受容体は中井淳一(岡崎国立共同研究機構生理研助手)らが cDNA クローニングを行った。
 イオンチャネル以外の分子としては,昭和61(1986)年ムスカリン性アセチルコリン受容体 (mAChR) の cDNA クローニングが久保 泰(工業技術院生命工学研主任研究員)らにより行われ,引き続いて他のタイプの mAChR についても cDNA クローニングと機能発現が行われた。上にあげた分子以外には,サイクリック GMP 依存性チャネル,Na+/K+ATPase(α, β サブユニット),トランスデューシン(α, β サブユニット)の cDNA クローニングが世界に先駆けて行われた。
 nAChR をはじめとして数多くの機能分子の cDNA クローニングと機能発現が行われた沼研究室は, 昭和55 (1980) 年初頭から10年あまりの間にわたって世界の分子神経生物学をリード した。沼教授は最後の10年間,まるで死期を予測していたように,研究に対してすさまじいまでの集中力を示した。研究に直結するもの以外は一切排除するという態度をとり,日曜日もなく毎日朝の11時から翌日の午前2時くらいまで研究室に閉じこもって研究に没頭した。沼教授は 停年退官を目前にした平成 4(1992)年2月15日に S 状結腸癌の肺・肝転移のため死去した。
 沼教授はこれらの研究業績によって朝日賞,日本学士院賞,Heinrich Wieland,Otto Warburg メダル,Schmitt 神経科学賞,文化功労賞等数多くの賞を授与され,また英国王立協会外国人会員,ドイツ自然科学者アカデミー Leopoldina 会員,米国科学アカデミー外国人会員の栄誉が与えられた。また沼教授の董陶を受けた多くの門下生は,現在生化学,分子生物学,神経科学の種々の分野で活躍している。(中 西 重 忠,井 本 敬 二 記)