つぶやき　〜５〜　

これは、井川洋二編「続ロマンチックな科学者」（羊土社、２０００年）に掲載された拙文です。　これまでのつぶやき１から４の総集編という感じもしますが、現時点での私の考えのまとめのような気もしますので、ここに転載します。

サイエンスにおける構成力　　　　　

　私は典型的な日本人なので、「続・ロマンチックな科学者」というような題の本のなかで「私はサイエンスをこう考える」といったような議論をするのはきわめて気恥ずかしい。　これまでこのような場合はすべてお断りしてきた。　しかし、私も自分では若いと思いながらも四十路の半ばを越えてしまった。　気恥ずかしさを我慢してでも、自分の後からやってくる後輩のために、自分の考えていること、経験したことを伝えるのも義務かもしれないと思い始めている。　少なくとも、研究室で酒を飲むと気恥ずかしさもなくなるので、努めて学生さん達にそのような話をすることにしている。　
　そこでこの小文では、そのような酒の席で学生さん達に語っていることを、思いつくままに、何の脈絡もなく、私に割り当てられた紙面の尽きるまで書いてみようと思う。　対象はあくまでも「学生さん」である。　こちらは飲んで書いている訳ではないが、学生さんの方は飲みながら読んでいただけると有り難いし、酒の席ではそうであるように、一度だけ読んでいただいて記憶に残らないところはあっさり忘れていただければさらに有り難い。　「科学談義」などというものは、そのようなものだと思うし、「科学」などというものの在り方は個々人にとってすべて異なると思うからである。

凡人に必要なのは勉強
　私は、いわゆる二世科学者である。　父は有機化学者で、赤外線スペクトラムやＮＭＲなどを用いて天然物の構造決定をすることが専門であった。　父の時代は戦後の大変な時で研究環境には恵まれていなかった。　その分、父は、暇を見つけては私にいろいろ「科学について」教えてくれた。　どのような考えで私に科学を教えようとしていたのか、父が生きている間に聞くことが出来なかったのが残念であるが、戦争直後にアメリカに留学した父は、欧米と日本との格差はとても一世代で埋まるものではないと実感していたのではないかと、今になって思う。　そう思わせるほど、父の教育は力が入っていた。　小学校の夏休みの宿題のために、父はペーパークロマトグラフィー用の容器を家に持ち帰り、朝顔の花の色素を抽出し展開して見せてくれた。　赤い花、青い花、黄色い花の色の差が、実は微妙な色素の組み合わせの違いにしか過ぎないことに驚いたのを昨日のことのように覚えている。 父が考えた科学教育におけるいわゆるearly exposureであったように思う。　
　私が私立中学校に進学して、大学受験まで六年間という余裕のある時間が持てたこともあって、父はますます私の科学教育に力を入れるようになった。　私が化学を習いはじめると、気がつけば分子模型が一セット家に揃っていた。　そしてポーリングの「化学結合論」が良いとか、有機化学はフィッシャー・フィッシャーを読めとか、これも気がつけば本が机の上に置いてあった。　夢中になってこれらの本を読んだ。　一方で、中学一年生の時から生物クラブに入って、夏と春の休みに日本中を採集旅行して回ることを勧めてくれた。　この経験で生物の不思議に魅せられたし、生物の多様性も実感できた。
　このような教育のお陰で、大学に入った時には、回りの仲間に較べて科学的にきわめて早熟であったように自分でも感じられたし、不思議なことに分厚い教科書をじっくりと読むことが趣味となっていた。　教科書にはこれまで人類が積み上げてきた知識が体系として収められている。　その体系を理解したつもりになることが妙に気持ち良かった。　間違いなく大学入学後の４年間がこれまでの人生の中で最も勉強に集中した時期であった。　この時期の勉強がなかったら、今の私には多分何も研究上の発想は湧いてこないだろう。
　このような個人的体験をもとに、学部の学生さん達にはいつもこう言う。
「君らは、天才じゃぁないだろう。　凡人だろう。　凡人が科学の上でオリジナリティーと呼ばれるものを発揮する道は一つしかない。　まず、学部の学生の間に、徹底的に体系だった教科書的知識を勉強しなさい。　その体系の上に何かユニークな真実をいくらか積み上げることができれば、それが凡人が作り出せる最高のオリジナリティーだ。　最新の論文に左右されちゃぁいけない。　論文は、本質的な問題で人がやっていないところを見つけだすために読むぐらいの気持ちでよい」と。
　日本の大学は変なところだ。　勉強しないことを格好が良いとする風潮がある。　「学生時代は勉強しなかった」と威張る先生もいる。　

他人の研究に対する好き嫌い
　学生時代に良く勉強して（？）私たちの研究室に入ってきた大学院生からは、「どんな仕事が良い仕事か？」とよく聞かれる。　研究成果について評価する時、いろいろな言い方がある。　良い仕事だｖｓ大したことない；一流の仕事だｖｓ二流以下だ；オリジナリティーのある仕事だｖｓ人の物まねだ、等々。　しかし、若い研究者が評論家ではなく現役の研究者として他人の仕事に接するとき「私はこのような仕事が好きだ（嫌いだ）」という感想をまず持ってもらいたい。　自分の研究に対するスタンスが確固としていなければ、他人の仕事が直感的に「好きだ」「嫌いだ」と思えない。　何故好きだ、何故嫌いだと言う理屈は抜きにして、話を聞いていてドキドキしつつ「うーむ、こういう仕事が好きだなぁー」と感動する心、これが大切だと思う。　そして、あとで何故感動するのかを客観的に分析することによって、自分の研究に対するスタンスの中の無意識の部分にも気づくようになる。　ただ、学生さんによっては、「どの人の話も、どの人の話も素敵にみえる」といつも感動している人がいる。　これは駄目。　本当の意味での感動ではない。　むしろ「自分は不感症かなぁ」と思うくらい（本当の不感症では困るのだが）、ごく限られた仕事にしか反応しない位の方が良い（要するに自分がそうであるから）。
　私が嫌いな研究を、研究室のお酒の席ではなく、ここで挙げると問題が多いであろうが、好きな研究、それも私がこれまで関わってきた分野の研究を挙げても問題はないであろう。　となると、私はまず、京大理学部の竹市雅俊先生の研究を挙げる。　竹市先生の研究についてここで紹介する必要はないと思うが、要するに細胞間接着分子カドヘリンの発見とその後に続く一連の研究である。　もう一つ、若い頃に筋肉研究をしていた関係で、すぐに挙げることが出来るのが、大阪大学医学部の柳田敏雄先生の研究である。　アクチンとミオシンの運動を初めて試験管内で再構成し、最終的にはミオシン一分子のアクチンフィラメント上での運動を可視化することに成功し、化学エネルギーの機械運動への変換機構について独自の研究を展開している。　私自身が若い頃、両先生の講演をうかがった時、胸がドキドキして頭に血がのぼり、そしてその後で何とも幸せな気分になったことを今でもはっきりと覚えている。　「なぜ、こんなに感動するのだろう」と後でもちろん何度も自問してきた。　両先生の研究分野はかなり離れているが、共通点は多く見つけだせる。　それぞれの研究で導き出された成果は、明らかに他を圧倒し、それぞれの分野に計り知れない貢献をしている。　しかし、私が両先生の仕事に共通して感動する点は、その「サイエンスの構成力」にある。　まず、何が本質的疑問かを見極め、それに答えるために実に泥臭いところから研究を始め、自分のデータを自分の頭で考え、そしてあくまでも正攻法で攻めていく。　個々の仕事（論文）が、全体として大きな流れを形成しており、その流れを辿っていくと、その研究者の個性がはっきりと見えてくる。
　どうも私自身は、このような「サイエンスの構成力」に惹きつけられる。　もちろん、一方で、「何の脈絡もないのに、突然狙い澄ましたように一発を狙ってくるような仕事が好き」という人がいてもよい。　ただ、「好き嫌い」をはっきり持って欲しい。　そうすることがその人の研究の質を高める一つの重要なポイントのように思える。

ストーリー性
　「サイエンスの構成力」を感じさせる仕事では、出発点の論文から始まっていくつもの仕事が長年にわたって繋がり、一つのストーリーを形成している。　すなわち、一連の仕事にストーリー性がある。　「サイエンスの構成力」に惹きつけられる私は、自身の研究の中でもストーリー性というものに大きなウェイトを置いている自分にしばしば気付くことがある。　逆に、教室のセミナーなどで、研究のストーリー性を理解していない学生さんがいるととても不満に感じる。　自分の行っている実験が、全体のストーリーの中でどのような位置にあり、その実験の結果、全体のストーリーがどのように展開していくのかということに対する自覚は、実験を進める上できわめて重要である。　常にこのようなことを意識して実験を行っていれば、セミナーや学会で、自分の仕事の位置づけが曖昧なまま発表をするということはない筈である。　学生さんなら、実験をしながら、「この結果がこう出たら、このようなイントロのスライドを作って、このような学会発表をするんだ」と、発表している自分の姿をデータが出る前から夢想すればよい。　これはストーリー性を養う上で良いトレーニングになる。
　私の研究室では「月田さんの大仮説」という冷やかしの言葉が良く私の前で使われる。　ストーリーにこだわる私が、何かのデータが出るたびに、あーでもない、こーでもないと考え、すぐに仮説を提唱する。　その仮説は、さらなる何のデータもないのに私の中で誇大妄想教的に発展し、「大仮説」というレベルに達する。　ところが、このような大仮説は、大概は次のデータが出たときにいとも簡単に崩れ去っていくのである。　実際には、過去のいくつかの「大仮説」は、いい線をいっていて、当たらずとも遠からずということもあったのであるが（と信じているが）、あまりにも「打率」が悪すぎるので、「月田さんの大仮説」は外れるもの、当たった時は皆のアイデア、という風になってしまっているのである。　それでも、私は「大仮説」を日夜考え続けている。　そして、スタッフをはじめ、気骨のある大学院生は、この「大仮説」を打ち破るデータを出すことを秘かな楽しみとしている。　このプロセスが実に楽しい。　
　もちろん、このストーリー性を楽しむサイエンスの進め方は、気をつけないと危ない。　すなわち、今のようにある程度の人数のグループで研究する場合、ボスと呼ばれる人を、サイエンスの上では対等に批判できる能力のある研究者が含まれていて、またその批判が許される土壌が絶対に必要である。　ストーリー性を重んじるということは、反面、大きな先入観を許すということに繋がるので、グループの中の相互批判がないと、思わぬ間違った方向にサイエンスが迷い込むことになりかねない。　「石橋を叩いて、壊して、渡れなくなってしまう」くらい慎重な研究者の存在は貴重である。

現実面でのストラテジー
　研究室の酒の席で私は少し酔っぱらうと、学部や大学院の学生さん相手に以上のようなことをよく言うように思う。　そうすると学生さんは、しばしば「もっと具体的に、もし今、月田さんが独立したばかりの研究者だったら、どのようなストラテジーで、どのようなテーマについて研究しますか？」と聞く。　私は「そんなこと自分で考えるのがサイエンスだ」などと言いながら、約１５年前に東京都臨床医学研究所（臨床研）で独立した研究室を持つようになった時の話をよくする。
　大学院当時、私は当時東大の解剖学教室におられた石川春律先生（現群馬大学）から徹底的に電子顕微鏡レベルの形態学を基盤とした細胞生物学を学んだ。　そして神経軸索内輸送が微小管に沿った膜小胞の輸送そのものであることを発見することができた。　このような仕事からスタートして、徐々に微小管やアクチンフィラメントに沿った物の動きの根本的なメカニズムに興味が移り、急速凍結電子顕微鏡法を駆使した繊毛運動や横紋筋の収縮機構の解析に熱中していった。　上述の柳田敏雄さんと知り合ったのもこのころである。　しかし、臨床研で小さいながらも研究室とグループを持てるようになった時、まず、このままこの路線で続けてよいものだろうかと真剣に考えた。　繊毛運動や横紋筋の収縮機構、すなわちエネルギー変換機構というのは、本質的な問題であることは確かだが、突き詰めていけばいくほど、物理学の世界に入っていく。　問題が核心に迫るほど、自分がこれまで勉強してきた医学生物学の世界から遠ざかって、不得意な世界に入っていくのが不安であった。　ここは思い切って軌道修正をしようと考えた。　では、何をやるか。　解剖学教室では難かしかったが、臨床研なら分子生物学的手法も取り入れることができる。　幸い私は、大学院の博士課程から妻（月田早智子）と２人で石川先生に師事しており、妻の方はその頃から生化学的手法と形態学的手法を組み合わせながら、赤血球膜の裏打ち構造の解析を石川先生と行なっていた。　私自身も、そのプロジェクトを手伝っており興味を持っていたので、臨床研で独立するのを期に、細胞膜裏打ち細胞骨格の研究に軸足を移すことを決意した（妻に言わせると、乗っ取ったのだそうだ）。　そして、以前から興味を持っていた細胞間の接着における細胞膜裏打ち細胞骨格の役割に焦点を絞ることにした。　繊毛運動や横紋筋の収縮機構に較べれば、ずっと医学的なテーマであった。
　次に、どのようにして自分たちの研究にユニークさを出すかを考えた。　当時、竹市先生のカドヘリンの発見に代表されるように、機能阻害抗体や変異体を用いた研究から、つぎつぎと細胞間接着に関わる因子が同定されようとしていた。　私たちの特徴と言えば、形態学を徹底的に学んだことしかなかった。何かうまく、私達の特徴である形態学的なバックグラウンドを分子生物学に生かすことのできるストラテジーはないだろうか？　最終的に考えついたストラテジーは以下のような単純なものであった。　（１）細胞間接着のために特殊に発達した膜ドメインである細胞間接着装置の単離法を開発する。　（２）接着装置には、細胞間接着そのものや、その制御・シグナル伝達に関わっている蛋白質が濃縮している筈である。　したがって、単離分画に濃縮する蛋白質を片っ端から同定・精製する。　（３）それぞれのｃＤＮＡを単離する。　（４）そのｃＤＮＡを用いて、それぞれの蛋白質の細胞間接着における機能を解析する。
　当時の分子生物学からすれば、このストラテジーはユニークではあったが、少々無理があるようにも思えた。　まず、「単離分画に濃縮すれば接着に重要であろう」という「形と機能の対応」を信じる形態学者的アバウトな発想。　しかし、これは最終的にｃＤＮＡがとれれば検証できるのだから問題ないと考えた。　次に、単離分画から精製できるぐらいの少量の蛋白質から、そのｃＤＮＡが分子生物学の素人であった私たちにうまく単離できるかという問題。　この点は、分子生物学の技術が急速に簡単になっていくであろうという読み（したがって数年後にはおもしろい蛋白質のセットを持っているものが強いだろうという読み）が当たっていたことと、竹市研から永渕昭良さんという当時Ｅ−カドヘリンのｃＤＮＡを世界で始めてクローニングした青年（現当教室講師）が参加してくれたことでクリアーできた。　最後に、ｃＤＮＡが取れた時、その産物の機能解析が簡単にできるのかという問題。　これも、トランスフェクションの技術や、トランスジェニックマウスやノックアウトマウスの作製の技術が、われわれがｃＤＮＡを手にした頃には飛躍的に進歩しているであろうという読みが当たっていた訳で、結果的には問題はなかった。　
　今から思えば、優秀な仲間の参入など幸運なことも多かったが、この臨床研で独立する時のいくつかの決断が、現在の私たちの研究のストーリーの展開にとって重要であったことは間違いない。　自分の得意なバックグラウンドの認識と、急速な分子生物学の技術の進歩の方向と速度に関する読み、およびそれに基づいたストラテジーの構築。　１５年前にそうだったように、これらの重要性は今の時代に研究を始める場合でも同じことであろう。　　しかし、１５年前と明らかに異なるのは、分子生物学の技術の進歩が著しく加速していて、１０年後にどのようなことが可能になっているかが、きわめて読みにくいことであろう。　今流行の「ポストゲノムの時代」であることは間違いないのであるがーー。　まだ１５年位は研究者としての先がある私自身、いつも頭に引っかかっている問題である。　現実面での「サイエンスの構成力」が、研究を遂行していく上で、ますます重要になってくることは間違いないであろう。

私に割り当てられた紙面が尽きてきた。　酒の席での学生さんに対する話ということで書いてきたが、本当に酔っぱらいのとりとめもない話になってしまった。　ところで、この小文をここまで読まれた「学生さん」は、この「先生」はどんな研究をしてきた人だろうという疑問を持たれるに違いない。　仕事の話そのものをするのがこの本の目的ではないので、自己紹介をする場がなかったが、研究室のホームページ（http://www3.mfour.med.kyoto-u.ac.jp/）に詳細に記してあるので、興味のある方はご覧になっていただきたい。　私自身は、退官するころにこの本を引っぱり出して、自分が研究者としての道半ばに、どんなことを考えていたかを思い出したいと思う。　その頃でも酔っぱらって何の進歩もないことを繰り返しているようにも思うが。