若者よ、惑わされちゃぁ、あかんよ。

この５年くらい前から、日本の基礎研究に対する研究費が驚異的な伸びを示しています。　僕が医学部の解剖学教室に大学院生として入った時は、当時としては貧しい方ではなかったですが、それでも今と較べると呆れるほど貧弱な研究環境であったと思います。　たかが、２０年前のことです。　ガラス器具は、クロ混（知ってるかな？）につけて洗浄していました。　蒸留水は、銅釜で蒸留したものを、もう一度デッカイ硝子の装置で再蒸留して使っていました。　この硝子器具を割った時など、もう、破門になるかと思うほど、しかられました。　ピペットマンなんて高級品。　一個、５万円以上するダイヤモンドナイフなど、一生モノといわれ、大学院生など、なかなか使わせてもらえませんでした。

今はとにかく、大きな規模のグラントが増えました。　それ自体は大変結構なことで、基礎研究の大切さを政府等に訴え続けてきた、先人たちの輝かしい成果といえると思います。　我々は、その恩恵のもとで、世界に通用する研究を、この日本の中で発展させることができるようになったのです。　でも、このような事態になって、何か変だな、と思うことが少なからずあります。

僕たちのかかわっている医学生物学の分野でも、ゲノム科学に代表されるような、ビッグサイエンスが登場してきたこともあって、それぞれの分野を代表する研究者達は、政府を相手に大きなお金を獲得すべく運動する必要性が生まれてきました。　それはそれで、医学生物学分野の研究の発展につながることで、とても結構なことです。　ただ、その過程で、政治家やお役人、さらには一般国民に分かりやすいようなキャッチフレーズというか、アドバルーンが次々とあげられていきます。　「ゲノムの時代」とこの間まで言っていたら、今は、「ポストゲノムの時代」とか、それに関連しては「オーダーメード医療」とか。　「再生医学」なんていうのも素敵な響きです。　「２１世紀は脳の時代」とかいうのもありました。　みんな上手な表現だなぁと思ってきました。　だだ、最近の「実験医学」や「細胞工学」にもこれらの言葉が氾濫するようになって、徐々に違和感を感じるようになってきました。　例えば、ヒトのゲノムがすべて解読された後に、DNAチップを用いれば、すべての遺伝子のオンオフが見れるので、細胞の情報処理機構等はすべて「分かる」という論調などは、ついていけません。　確かに僕たちが得ることの出来る情報量は飛躍的に上昇し、質も変わってくるでしょうが、それだけ「分かった」気分にもなりにくくなるでしょう。　もし、今、コンピューターを開いて、各素子のオンオフをすべて見ることが出来たとして、コンピューターのやっていることが「分かる」のでしょうか。　もう少し、次元が低いですが、「ポストゲノム時代」の新しいキャッチフレーズ「プロテオーム研究」にもついていけません。　細胞から、ある構造を取り出し、それが含む蛋白質をすべて網羅し、その遺伝子を決定するという方向は昔からありました。　僕たちのジャンクション研究などまさにそうです。　でもこの場合、問題は、オルガネラならオルガネラを高純度で単離する方法論が全く確立していないことです。　この方法論の確立のためには、ずっと地道な努力が続けられています。　蛋白複合体がきれいに取れないのに、「プロテオーム研究」の発展などあり得ません。

僕が心配するのは、グラントを獲得するために掲げたキャッチフレーズに、研究者自身が酔っちゃてるように見えることが少なからずあることです。　そのような状況では、これから育ってくる若い研究者たちも、落ち着いたサイエンスができないだろうという心配をします。　もう一度、一例として話しを戻しますが、すべての遺伝子のオンオフが見えるということは、すごいことです。　「すごいことです」というのは、それを解析するのがとんでもなく「難しいことです」ということです。　それだけ、これからの若者には、じっくりとした勉強と、その結果としての高い実力が要求されるということです。

あっちこっちにあがっているアドバルーンに惑わされることなく、より地道な努力をせねば、あかんよ。　若者たち。