月田教授時代

[平成 5(1993)年5月1日〜現在に至る]

 沼 正作教授が不幸にして退官を待たずに逝去した後,月田承一郎が平成 5(1993)年5月に医化学第二講座2代目の教授として着任し,教室の研究はこれまでのチャンネルやレセプターを中心とした分子生物学から細胞接着・細胞骨格を中心とした細胞生物学へ大きく方向転換することになった。月田およびその研究グループは前々任地の東京都臨床医学総合研究所の時代(昭和61年(1986)7月〜平成元年(1989)12月)に,接着分子カドヘリンが機能する場である細胞間接着装置アドヘレンスジャンクションをラット肝臓から単離する方法の開発に成功し,その単離分画を用いて,カドヘリンの周辺で機能する重要な分子群の解析を開始した。平成 2(1990)年1月に岡崎国立共同研究機構生理学研究所に移り,これらの研究は,月田早智子助手を中心とした ERM 蛋白質の同定・解析とその cDNA クローニング,永渕昭良助手を中心としたカドヘリン結合蛋白質 α カテニンの解析とその cDNA クローニング,さらに大学院生の伊藤雅彦を中心とした ZO-1 の解析と cDNA クローニングなど,世界に先駆けたユニークな研究へと発展していった。
 平成 5(1993)年5月から月田は京都大学医化学第二講座教授を併任することとなり,以降2年間,併任が続いた。この年に,大学院生の古瀬幹夫が,単離アドヘレンスジャンクション分画にタイトジャンクションと呼ばれる細胞間接着装置も濃縮していることを利用して,タイトジャンクションに局在する内在性膜蛋白質オクルディンを発見するという大きな研究上の進展があった。タイトジャンクションは,多細胞生物にとってきわめて重要な細胞間接着装置で,生物学的にも医学的にもそこで機能する接着分子の発見が待ち望まれていたもので,オクルディンの発見は大きな反響を呼んだ。


 平成 6(1994)年10月に,永渕昭良助手が医化学の助手として,大学院生の古瀬幹夫とともに一足先に京都へ移り,改築前の第二講座の一室で研究・教育を始めた。また,この年から,月田早智子助手が京都大学医療短期大学部教授に就任した。平成 7(1995)年4月に京都大学医学部は大学院大学に移行し,医化学第二講座も分子細胞情報学(英文で Department of Cell Biology)と名称変更され,月田も京都大学に専任となった。1月17日に淡路阪神大震災に遭遇するなど波乱の幕開けとなったが,幸い完成したばかりの研究棟(A 棟)に損傷はなく3月末に月田研究室全体が京都大学に移った。その4月に井本敬二助教授が岡崎国立共同機構生理学研究所教授として,医化学の講座間持ち回りのポストについていた仲野 徹講師が大阪大学微生物病研究所教授として転出したため,新しい第二講座(分子細胞情報学講座)は,講師 2(永渕良昭・米村重信[元生理研助手]),助手 2(伊藤雅彦・古瀬幹夫)の体制で出発した。研究は,生理学研究所の時代の成果を発展させる形で続いており,多くの大学院生も含めて3つのグループが編成されている。永渕講師が率いるカドヘリン・カテニングループは,α カテニンの解析を中心課題として,細胞と組織の間を結ぶような方向で研究を発展させている。月田(早)教授(医短)と米村講師が率いる ERM グループは,アクチンフィラメントを細胞膜に結合する架橋蛋白質である ERM 蛋白質群の機能解析を,低分子量 G 蛋白質との関係も視野にいれて精力的に進めている。 そして,伊藤助手,古瀬助手の率いるタイトジャンクショングループは,オクルディンのノックアウト,それに続く新しいタイトジャンクション接着蛋白質クローディンおよびそのファミリーの発見と大きな進展をみせ,世界をリードしている。
 新しい第二講座は,始まったばかりである。次の100年に向けてどのような歴史を刻めるのか,教室員全員期待と不安の入り交じった気持ちで毎日の研究・教育に努めている。
(月 田 承 一 郎 記)